2012年4月10日火曜日

大野病院事件地裁判決要旨 - 元検弁護士のつぶやき


 産科医に無罪 大野病院事件 福島地裁判決(河北新報ニュース 2008年08月20日水曜日)

 検察側が「前壁から後壁にかけて広く癒着し、大量出血を予見できるほどだった」と主張していた胎盤と子宮の癒着についても、判決は「検察側の鑑定医は専門的経験が少なく、剥離時の状況や子宮の形状などと照らすと、鑑定には相当に疑問がある」と判断。後壁のみとした弁護側鑑定については「おおむね合理的だが、全面的には認定できない」と評価した。

 剥離と患者死亡の因果関係で、判決は「剥離開始後の出血の大部分は胎盤の剥離部分からのもの。死因は出血性ショックによる失血死」と検察側主張に沿う認定をした。出血量は、麻酔記録などから剥離終了後の午後3時には5000ミリリットルに達していたとした。

 この河北新報のニュースからは、裁判所がかなり緻密な事実認定をしたことが伺えます。

 本当は判決全文を読んでからコメントしたほうがいいのですが、皆さんの関心が高い時期に第一印象的ではありますが、感想を述べることも悪くないと思いますので簡単に述べてみます。
 判決要旨全文は、一番最後に引用します。

 周産期医療の崩壊をくい止める会のホームページの第一回公判のページによれば、起訴状における業務上過失致死の主張内容は

「癒着胎盤と診断した時点で胎盤を子宮から剥離することを中止して、子宮摘出すべきであったのに」(しなかった)
「胎盤を無理に剥離すると大量出血する可能性があることを認識していた」(のに剥離行為を行った)

という2点がポイントのようです。

 つまり検察官は、起訴状で、加藤医師に対して

 (1)癒着胎盤であることが分かったらすぐに子宮を摘出しろ。
 (2)癒着胎盤の剥離は危険だから剥離するな。
 
と言ったのです。

 それに対して判決は、(1)の点について

 医師に医療措置上の行為義務を負わせ、その義務に反した者には刑罰を科する基準となり得る医学的準則は、臨床に携わる医師がその場面に直面した場合、ほとんどの者がその基準に従った医療措置を講じているといえる程度の一般性、通有性がなければならない。なぜなら、このように理解しなければ、医療措置と一部の医学書に記載されている内容に齟齬(そご)があるような場合に、医師は容易、迅速に治療法の選択ができなくなり、医療現場に混乱をもたらすことになり、刑罰が科される基準が不明確となるからだ。

と判示しました。

 つまり、裁判所は


それはUTIに行く何を海岸ません

 検察官が要求する行為(子宮摘出)をしなかったことをもって加藤医師に刑罰を科すためには、同様の場面(癒着胎盤の判明)に直面した産科医なら、ほとんどの産科医が直ちに子宮を摘出するという事実が存在する必要がある。
 そんな事実がないのに、一部の医学書に「子宮を摘出すべし」と書いてあるからといって、そうしなかった執刀医を処罰したんじゃ医療現場が混乱するじゃないですか。

と言った上で、さらに

 この点について、検察官は一部の医学書やC医師の鑑定に依拠した準則を主張しているが、これが医師らに広く認識され、その準則に則した臨床例が多く存在するといった点に関する立証はされていない。

と言っています。

 つまり、

 そんな事実(ほとんどの医師が癒着胎盤の場合はすぐに子宮摘出する。)があるならそれを検察官が立証する必要がありますよ。
 でも、立証できてないじゃないですか。

というわけです。
 これは、刑事裁判の論理(立証責任)として当然の指摘です。

 以上で、起訴状の(1)の主張を退けました。

 ついで、裁判所は

 また、医療行為が患者の生命や身体に対する危険性があることは自明だし、そもそも医療行為の結果を正確に予測することは困難だ。

 という認識を示した上で

 医療行為を中止する義務があるとするためには、検察官が、当該行為が危険があるということだけでなく、当該行為を中止しない場合の危険性を具体的に明らかにしたうえで、より適切な方法が他にあることを立証しなければならず、このような立証を具体的に行うためには少なくとも相当数の根拠となる臨床症例の提示が必要不可欠だといえる。

と判示しました。
 つまり、検察官に対して

 癒着胎盤の剥離が危険だと言うのであれば、剥離を中止しなければ命に危険が生じることを具体的に明らかにしなさい。
 そして、(どんな医療行為も危険性はあるのだから胎盤剥離が危険だと言っただけでは過失の主張としては不十分なのであり、)より適切な方法が他にあったことを証明しなさい。

と批判し、さらにその立証方法として、

 少なくとも相当数の根拠となる臨床症例の提示が必要不可欠だといえる。

と指摘した上

しかし、検察官は主張を根拠づける臨床症例を何ら提示していない。被告が胎盤剥離を中止しなかった場合の具体的な危険性が証明されているとはいえない。

と判示して、起訴状の(2)の主張も退けました。

 言い方を変えれば、検察官に対して

 机上の空論じゃ納得できませんよ。
 臨床の現場がどうなっているのかを示してください。(示せるものなら)


どのように子どもたちは養護施設で苦しんでいる

と言っているように聞こえます。

 表現としては、検察官の立証が十分でない、という言い方なんですけど、

 そんな現場無視の過失をどうやって立証できると言うの。

という指摘が言外に聞こえてくるようです。
 それは、 【医師法違反】 の判旨の要約からも伺えます。
 最高裁第三小法廷平成16年04月13日判決は、医師法21条について

本件届出義務は,医師が,死体を検案して死因等に異状があると認めたときは,そのことを警察署に届け出るものであって,

と判示しており、死因等に異状つまり普通と異なった状態がある場合の報告義務を定めたものですが、これは、過失による死亡であることが明白な場合にとどまらず、過失による死亡の疑いがある場合も含むと読むのが自然です。

 ところが本件判決は

本件患者の死亡という結果は、癒着胎盤という疾病を原因とする、過失なき診療行為をもってしても避けられなかった結果といわざるを得ないから、医師法にいう異状がある場合に該当するということはできない。

と言い切っちゃっています。
 つまり、過失による疑いがあるとも言えない、過失によらないことが明らか、と言っているように読めます。

 裁判所としては、業務上過失致死罪については灰色無罪とし、医師法21条違反については有罪とするという判断もあり得たわけですが、そうは考えないで、業務上過失致死罪については、少なくとも限りなく白に近い無罪、その結果として医師法21条違反も無罪と考えたように思われます。

 さて、この判決に対して、検察は控訴できるかですが、私はかなり困難だと思います。
 裁判所は、要するに、「検察官の主張は医療現場と乖離している。」として、無罪を言い渡しました。
 これに対して、検察が控訴して勝つには、「地裁判決が判決の基礎とした事実認定は間違っている。」と主張して反証に成功するか、「そもそも医療現場との乖離を問題にする地裁判決の論理が間違っている。」と主張して高裁を納得させるか、「加藤医師の行為は医療現場と乖離している。」ということを証明するかのいずれかが必要だと思います。

 外形的事実認定については、検察側の主張もかなり採用しており、認定事実についてはほとんど争いがないのではないかと想像します。そうであればこの点は争点になりません。

 また、現場との乖離を問題にすべきでないという論理が通用するとは思えません。

 では現場と乖離していることが立証可能かと言えば、1審の審理から見てまず無理でしょう。
 2週間以内に検察に協力する産科医が5〜6人名乗りを上げたら別ですが。


このラボの値が何を意味するのか?

 とすると、検察に勝ち目はないことになり、仙台高検が福島地検の控訴を了承することはないと思われます。


判決要旨全文は以下のとおり。

【業務上過失致死】

 ●死因と行為との因果関係など

 鑑定などによると、患者の死因は失血死で、被告の胎盤剥離(はくり)行為と死亡の間には因果関係が認められる。癒着胎盤を無理に剥(は)がすことが、大量出血を引き起こし、母胎死亡の原因となり得ることは、被告が所持していたものを含めた医学書に記載されており、剥離を継続すれば患者の生命に危機が及ぶおそれがあったことを予見する可能性はあった。胎盤剥離を中止して子宮摘出手術などに移行した場合に予想される出血量は、胎盤剥離を継続した場合と比較すれば相当少ないということは可能だから、結果回避可能性があったと理解するのが相当だ。

 ●医学的準則と胎盤剥離中止義務について

 本件では、癒着胎盤の剥離を中止し、子宮摘出手術などに移行した具体的な臨床症例は検察官、被告側のいずれからも提示されず、法廷で証言した各医師も言及していない。

 証言した医師のうち、C医師のみが検察官の主張と同趣旨の見解を述べている。だが、同医師は腫瘍(しゅよう)が専門で癒着胎盤の治療経験に乏しいこと、鑑定や証言は自分の直接の臨床経験に基づくものではなく、主として医学書などの文献に頼ったものであることからすれば、鑑定結果と証言内容を癒着胎盤に関する標準的な医療措置と理解することは相当でない。

 他方、D医師、E医師の産科の臨床経験の豊富さ、専門知識の確かさは、その経歴のみならず、証言内容からもくみとることができ、少なくとも癒着胎盤に関する標準的な医療措置に関する証言は医療現場の実際をそのまま表現していると認められる。

 そうすると、本件ではD、E両医師の証言などから「剥離を開始した後は、出血をしていても胎盤剥離を完了させ、子宮の収縮を期待するとともに止血操作を行い、それでもコントロールできない大量出血をする場合には子宮を摘出する」ということが、臨床上の標準的な医療措置と理解するのが相当だ。

 検察官は癒着胎盤と認識した以上、直ちに胎盤剥離を中止して子宮摘出手術などに移行することが医学的準則であり、被告には剥離を中止する義務があったと主張する。これは医学書の一部の見解に依拠したと評価することができるが、採用できない。


 医師に医療措置上の行為義務を負わせ、その義務に反した者には刑罰を科する基準となり得る医学的準則は、臨床に携わる医師がその場面に直面した場合、ほとんどの者がその基準に従った医療措置を講じているといえる程度の一般性、通有性がなければならない。なぜなら、このように理解しなければ、医療措置と一部の医学書に記載されている内容に齟齬(そご)があるような場合に、医師は容易、迅速に治療法の選択ができなくなり、医療現場に混乱をもたらすことになり、刑罰が科される基準が不明確となるからだ。

 この点について、検察官は一部の医学書やC医師の鑑定に依拠した準則を主張しているが、これが医師らに広く認識され、その準則に則した臨床例が多く存在するといった点に関する立証はされていない。

 また、医療行為が患者の生命や身体に対する危険性があることは自明だし、そもそも医療行為の結果を正確に予測することは困難だ。医療行為を中止する義務があるとするためには、検察官が、当該行為が危険があるということだけでなく、当該行為を中止しない場合の危険性を具体的に明らかにしたうえで、より適切な方法が他にあることを立証しなければならず、このような立証を具体的に行うためには少なくとも相当数の根拠となる臨床症例の提示が必要不可欠だといえる。

 しかし、検察官は主張を根拠づける臨床症例を何ら提示していない。被告が胎盤剥離を中止しなかった場合の具体的な危険性が証明されているとはいえない。

 本件では、検察官が主張するような内容が医学的準則だったと認めることはできないし、具体的な危険性などを根拠に、胎盤剥離を中止すべき義務があったと認めることもできず、被告が従うべき注意義務の証明がない。

 【医師法違反】

 本件患者の死亡という結果は、癒着胎盤という疾病を原因とする、過失なき診療行為をもってしても避けられなかった結果といわざるを得ないから、医師法にいう異状がある場合に該当するということはできない。その余について検討するまでもなく、医師法違反の罪は成立しない。


追記(関連エントリ)
新小児科医のつぶやき



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