2012年4月22日日曜日

フロイト・セミナー中級篇


フロイト・セミナー中級篇

6回 不安と防衛

 

重元寛人

 

不安とは

 「不安」というものは、ほとんどの人にとって非常に身近な情動であろう。フロイトの他の概念、「欲動」とか「リビド−」と違い、「不安」について大抵の人は説明されなくとも「あの感じだな」と思い浮べることができるだろう。そしてそれは、フロイトの言う「不安」とそれほど大きく異なるものではないようだ。

 もっとも、フロイトはその初期から中期の著作においては、不安について意外に軽くしか扱っていない。不安は欲動の派生物のような位置づけであった。しかし、後期の論文『制止、症状、不安』(1926)において、彼は不安を真正面から論じ、以前の考えに重要な変更をくわえた。その結果、不安はフロイト理論全体の中できわめて重要な地位をしめることになるのである。

 不安について、新たに明らかにされたことを箇条書きにして若干の説明を加えてみよう。

 

(1)抑圧は不安から生じる。

(2)不安は自我の中に生じる。

(3)不安は危険に対する信号である。

 

抑圧は不安から生じる

 以前フロイトは、不安とは抑圧された欲動が変化したものである、と考えていた。しかし、『制止、症状、不安』の中で彼はこの以前の考えを訂正している。抑圧から不安が生じるのではなく、むしろ不安が抑圧をひきおこす。因果関係が逆になったわけだ。

 この変更はきわめて重要なものである。それまでのフロイトの神経症論は非常に単純化していえば、「抑圧された欲動が神経症の症状を形成する」というものだった。抑圧は神経症を考える上で鍵となる概念だったのだが、その抑圧が不安から生じるということになれば、こんどは不安の方が神経症の成り立ちにおいて根源的な重要性を帯びることになる。不安がどのようにして神経症の症状を形成するかについては、また後で述べる。

不安は自我の中に生じる

 構造理論の中での不安の位置づけはこうである。不安は自我がひきおこし、自我が感じる。エスの中にも、超自我の中にも不安は生じない。不安を生じさせ、その不安に対処しようとするのは自我に特有の機能である。

 これも重要なことである。欲動はエスの中に生じ自我のふるまいに重大な影響をおよぼすのであった。これに対して、不安はエスの中でなく自我の中に生じ、あるいは自我が積極的に不安を引き起こして、その力をもってエスを支配しようとするのである。

 

不安は危険に対する信号である

 不安とは、ある種の危険が近づいていることを知らせる信号である。これが有名な「不安信号論」の要点である。信号としての不安を合図に、自我は危険を避けるような措置をとろうとする。自我がどのようにして危険を回避しようとするかについては後述する。

 


内気のさまざまな形態

 不安が危険に対する反応であるとすると、それはどんな危険なのであろうか。いろいろな危険があるが、すべての原型となるのが出産という危険であるとフロイトは考えた。人生のいろいろな時期にはそれぞれの年代に特有の危険があり、それに対応する不安がある。それらについて順番に述べてみよう。

 

(1)出産時の不安(原不安)

(2)乳児にとっての欲求不満からくる不安

(3)対象(母親)との離別の不安

(4)去勢不安

(5)超自我に対する不安

 

出産時の不安

 胎児にとって、出産の状況は生命の危険である。この際、彼の内部では経済的な混乱が生じる(生理学的なホメオスタシスが崩れる、あるいは極度に苦痛な状態になるというようなことか)。この時胎児は心臓の鼓動を早め肺の活動を準備する。

 出産時の一連の反応が人生最初の不安であるといっても、われわれが感じるような心理的な不安とはだいぶ違うもののようだ。出産の危険にしても、それを胎児が心理的に認識して不安に感じるというわけではない。

 

乳児にとっての欲求不満

 生まれたばかりの赤ん坊は、自分の欲求をなにひとつ自分で満たすことができない無力な存在であり、放っておかれるとすぐに欲求不満の状況に陥る(例えば空腹)。この際、彼の内部では出産時と似た状況が――経済的な混乱――が生じる。乳児にとってはこれが危険と認識され、不安が生じる。彼は出産の時と同じように鼓動を早め肺と声帯を激しく活動させる(泣く)。こうすることは母親を呼び寄せて彼の欲求を満たしてくれるので、合目的的な反応になるのである。

 

対象との離別の不安

 上記の過程を繰り返すうちに、乳児の中に重要な変化が起こる。母親がいれば欲求を満たしてくれる、逆に母親がいなくなると欲求不満の危険な状態に陥る恐れがある。乳児にとっての危険は、経済的状況から対象の喪失に変化する。母親と離れることが子供にとっての危険と認識されるようになり、それに対して不安の信号をもって応じるようになる。

 

去勢の不安

 男根期にはペニスが自己愛的に高く評価されるようになる。その大事なペニスとの離別(去勢)は母との離別と同じ意味をもち、性器的リビド−の要求が満たされなくなることをも意味する。このため去勢は危険と認識され不安が生じる。

 

超自我に対する不安

 さらに子供が成長すると、去勢の不安は良心の不安や社会的な不安に発展する。自我が危険と感じるのは、超自我の怒りや処罰であり、超自我の愛情を失うことである。人間にとって究極的な不安である「死の不安」も、超自我の投射である運命の力に対する不安といえる

 


ochild肥満

 以上、年代ごとの不安の変遷について簡単にまとめた。こうしてみると、「危険」の内容が少し見えてくる。自我が危険と認識して不安の信号を発するのは、第一に「経済的な混乱」が生じたときである。上記の「出産時の不安」と「乳児の欲求不満の状況」の場合がそうである。この場合は、不安はほぼ自動的に生じる。

 危険と認識される第二の場合は対象の喪失である。「母親との分離の不安」、「去勢不安」、「超自我に対する不安」がこれにあたる。この際には、自我は主体的に危険の有無を判断して不安の信号を発する(再生する)。そうすることでなんとかしてその危険から遠ざかろうとする。

 いずれの場合でも、なぜ危険であるかという要因のひとつは自我の無力さにある。経済的な混乱に対して、それが現実になってしまってからでは自我はどうすることもできない。対象の喪失に対しても、それがおこってしまってからでは自我はどうすることもできない。この無力さのために、自我は危険が実現する前にそれを察知して信号を発し、その危険を回避しなくてはならないわけだ。

 自我の無力さの起源は、人間の子供があまりにも何もできない状態で生まれてきてしまう、という事実と関連している。小児にとっての最初の1年間は、身体的にも精神的にも実際に無力であり、自分だけでは生命を維持することができず、養育者に全面的に依存しなくてはならない状態である。このために自我は度重なる「外傷体験」を経験し、自らの無力さを認識するようになり、様々な場面(欲求不満や対象との分離を思い起させる場面)において不安の信号を発する基盤が作られるのである。

 次に、不安の信号を発した自我がどのようにしてその危険を回避しようとするのかについて述べよう。一般に、外からやってくる危険(例えば敵が襲ってくる場合)に対しては行動による具体的な回避の方法がある。その一つは、逃げることである。では、内側からやってくる(欲動にまつわる)危険に対しては自我はどのように対処したらよいのであろうか。外からの危険に対して「逃げる」のに相当する方法が、抑圧である。危険の源を見えないようにしてしまうわけだ。

 ところで、外からやってくる危険に対しては、「攻撃をしかける」といった、より積極的な対処法もある。内的な危険に対しても、このような積極的な方法はないのか。

 自我を脅かす内的な(あるいは欲動に関連した)危険に対処する方法は、積極的なものから消極的なものまでいろいろある。それらの総称が「防衛」である。防衛は、自我が危険から自らを守るテクニックである。

 

防衛についての初期の理論

 フロイトは初期の著作である『防衛精神神経病』(1895)の中で、「防衛」の概念を用いて精神疾患の症状形成のしくみについて論述している。この頃のフロイトの神経症理論は、要約すると以下のようなものだ。

 神経症の原因はある種の外傷体験である。もともと健康であった人が、その精神生活において受け入れがたい出来事に突然みまわれた。その出来事の記憶(表象)とそれに結びつく感情は、自我にとっては受け入れがたいものである(多くはその性的な内容のために)。この、自我にとって受け入れがたい表象を何とかしようとする営みが防衛であり、その結果が神経症の症状である。

 『防衛精神神経病』では、以下の3種類の防衛について論じている。

 


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転換:自我と和解できない表象の興奮を身体的なものに置きかえること。ヒステリーに特徴的な防衛。

感情の転置:もともとの表象に結びついていた表象を他の表象に結びつけること。強迫神経症に特徴的な防衛。

精神病の防衛(名前なし):自我が堪えがたい表象をその感情とともに投げすてて、その表象が自我には近寄ったことも無いようにふるまうこと。精神病の「錯乱状態」を招く。

 

 その後、フロイトの神経症理論は徐々に変化していく。神経症の原因として、実際の外傷体験よりも、幼少期の主観的な(空想的な)体験とそれがもたらすリビドーの固着が重視されるようになる。「防衛」という言葉はあまり使われなくなり、使われるときも「抑圧」の同義語として用いられるのみであった。

 

 その「防衛」の概念が、後期の論文『制止、症状、不安』(1926)の中で復活した!

 

後期理論における防衛

 不安の問題についての議論に関連して、私は一つの概念――もっと遠慮していうと一つの術語――をふたたび採用した。この概念は、三十年前に私の研究の初めにもっぱら使用したが、その後はすてておいたものである。私は防衛過程のことをいっているのである。そのうちに私はこの防衛過程という概念のかわりに、抑圧という概念をおきかえたが、この両者の関係ははっきりしない。現在私はこの防衛という古い概念をまた使用しなおすことが、たしかに利益をもたらすと考える。それには、この概念が、自我が葛藤にさいして――それはときには神経症をまねく――役立てるすべての技術を総称していることを忘れてはならない。抑圧はこの防衛手段のあるもの、つまり、われわれの研究方向の関係から、最初� ��分かった防衛手段の名称なのである。

『制止、症状、不安』

 

 防衛とは、「自我が葛藤にさいして役立てるすべての技術を総称」するものである。では、具体的にどのような防衛があるのか。この論文では、ヒステリー、恐怖症、強迫神経症を例にとり、その症状形成にておいてどのような防衛がなされるかについて述べている。

 

ヒステリーにおいては、自我はもっぱら抑圧によって受け入れがたい欲動に対処する。抑圧され、無意識になってしまった欲動がその後どうなるかについては自我は関与しなくなるらしい。(ここでは「転換」については言及されていない。抑圧された欲動が症状に変化する過程にもっぱらエスの中で行われ、自我はまったく関与しないのであろうか。この点についてはフロイトは断定を避けている。できあがってしまった症状に対しては、自我は「二次性疾病利得」としてこれを利用する傾向がある。)

 

恐怖症では、置き換えが用いられる。動物恐怖の不安は、もともとは去勢の危険に対するものであるが、それが動物に対する不安に置き換えられる。

:ハンスは、父親への(去勢されるという)恐怖を馬への恐怖に置き換えた。

強迫神経症では、自我はヒステリーの場合よりもはるかに密に欲動の行方に関わっていく。その際に様々な防衛を用いる。


リビドーの退行:自我は、父親からの去勢を恐れるあまり、リビドー体制を性器的体制からサディズム的肛門期体制へと退行させる。このような退行を導く要因は、リビドー体制そのものにあるのではなく、自我の抵抗があまりに早くサディズム期の全盛期に始められたことと、超自我がとくに厳格で自我はそれに従順であることによるのかもしれない。

反動形成:欲動が目指すところと正反対の振る舞いを自我がとろうとする。

取り消し:すでにしてしまったことを、魔術的な行為によりうち消そうとする。

感情の分離:過去の受け入れがたい体験は忘れ去ることはできないが、もともと結びついていた強い感情とは分離される。

 

 防衛は、必ずしも病的なものとはかぎらない。例えば、反動形成は潜伏期の少年にとっては重要な防衛である。感情の分離は、人が何かに集中して注意を向け思考する際に重要な働きである。防衛が過剰であったり不適切であったりして、結果として自我機能の制限をもたらすときにそれは症状となる。

 

 ところで、この「防衛」の概念については、後にS・フロイトの娘のアンナ・フロイトが『自我と防衛』(1936)の中で「防衛機制」として整理したものが有名である。彼女はここで10個の防衛について解説している。

 

アンナ・フロイトの挙げた10個の防衛

退行・抑圧・反動形成・隔離・取り消し・投影・取り入れ

リビドーの自分自身への向け変え・転倒・昇華あるいは置き換え

 

 これはいたるところに引用されており、なかにはS・フロイトのものと勘違いしている人もいるかもしれない。

 

 以上、『制止、症状、不安』の中で展開される不安と防衛の理論について簡単にまとめた。新たにスポットを浴びた「不安」も「防衛」も共に自我の機能に属するものであり、論文全体にも「自我が主人公である」という色調がみなぎっているようだ。『自我とエス』で描かれた自我は、エスと超自我の狭間で苦しみ右往左往するという弱々しいイメージであった。『制止、症状、不安』では不安の信号を発し、様々な防衛を用いて葛藤を乗り越えようとする自我の積極的な側面が描写されている。

 そのあたりの細かいニュアンスには触れられなかったし、単純化しすぎて抜け落ちた点も多々あると思う。『制止、症状、不安』は、興味深く、『快感原則の彼岸』などに比べるとまだ読みやすい論文なので(それでもなかなか込み入っているが)、みなさんもぜひ原文にあたってみてください。



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